リリー・オンコロジー・オン・キャンバス (R) がんと生きる、わたしの物語。 ― 絵画・写真コンテスト ―

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リリー・オンコロジー・オン・キャンバス事務局(株式会社博展内)

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がんと生きる、あなたの物語を教えてください。

「リリー・オンコロジー・オン・キャンバス」は、がんと診断された方、およびそのご家族やご友人(20歳以上の方)を対象とした絵画・写真・絵手紙コンテストです。
「がんとともに生きる」をテーマに、絵、写真、もしくは絵手紙とその想いをエッセイに表現してください。

~今日のエッセイ~

  • 美しく生きる

    梅田 美智子 さん

    それはまさに青天の霹靂でした。
    主人が亡くなって二人の娘と力を合わせて、生きていこうと決心した矢先の事、今度は私に腫瘍が見つかったのです。すぐに手術しましたが、結果は悪性で、転移を繰り返す厄介なものでした。

    それからはCTを撮って様子をみる生活でしたが、やはり再発を繰り返し、手術、放射線治療、化学療法、温熱療法と続きます。会社に勤めながら、頑張るつもりでしたが、抗がん剤の副作用の辛さから、去年退職しました。
    それまで、趣味もなかったので、退職を機に何か出来る事をと思い、見ることが好きだった絵を習うことにしました。そしたら、自分でも驚くほど描くことが楽しくて、希望となっています。そんな折、こちらの企画を知り、応募しようと思いました。

    テーマは「美しく生きる」

    死の恐怖、手術の苦しさ、抗がん剤の辛さなどいろいろなことを考えると、絶望の淵に立っているようで辛くなる時があります。でも、人は早い遅いはありますがいつかはこの世に別れを告げるのです。

    だとしたらこの鳥のように美しく生きて行こう。凛として静かにそしてたくましく。落ち込んでなんかいられません。今、生きていること、支えてくれる人達に、感謝しながら、そして振り返った時、恥じることのない人生にしたい。そんな思いをこの真白い孔雀や花々に込めて描きました。何より大切な二人の娘たちにもそうして生きてほしいと願います。

  • One day

    蔵野 由紀子 さん

    私が舌癌、それも頚部リンパ節への転移の疑いのあるステージ4であると診断されたのは、2015年4月、35歳のときのことであった。当時長男は2歳8ヶ月、次男は生まれたての0歳3ヶ月。幼子二人を抱えて目の前は真っ暗になった。たいていの嫌なことは寝て起きれば忘れてしまうが、この病気のことだけは、何度朝を迎えても、ずっと覚めない悪夢を見続けているかのように頭から離れなかった。

    舌の患部の切除、首のリンパの郭清、舌の再建もあったので手術時間はとても長く12時間を越えた。舌、首、手首、腹と、体中にメスが入った。術後はまた辛い日々であった。意識が朦朧としていて、体も全身麻痺していて動けない。昼間は起きておくよう言われても難しかった。そんなとき弟が差し入れてくれた紙と鉛筆で絵を描き始めたら、急に頭が冴えてきた。HCUを出て一般病棟に移動した頃、病理検査の結果が出て、リンパ節への移転はなかったと伝えられた。本当に嬉しかった。その後の二ヶ月近い入院生活の後半は、色鉛筆で花の絵を描いて菓子箱などで額を作り、同室の患者さんやリハビリの先生方、そして主治医の先生にプレゼントするのが生き甲斐になった。

    私は元々油絵画家を志していたのだが、第一子の出産以来休筆していた。けれどこの病気をきっかけに小さな色鉛筆画を描き始め、そして2016年4月の熊本地震のあとには、大きめの水彩画に挑戦するようになった。沢山の人たちの力で?がれたこの命を、絵という形で結晶化させたいという思いが原動力であった。大切な人たちの手元に、私が生きた証(絵)を残したいという思いもある。

    花の命は短い。この絵の薔薇も既に枯れてしまってもうこの世には存在しない。しかし、それが不幸なこととは思わない。心明るく上を向いて、今にも咲こうとするこの蕾のような瑞々しさで生を全うしたいと願い、この絵を描いた。

  • 生を願う

    豊田 明日香 さん

    私の母が乳癌を患ったのは大学生の時のことでした。母がある日ふと鏡をみて胸にへこみがあることに気づいたのです。父と小学生だった弟、私たち家族にとっては衝撃的なことでした。

    手術をした日は暑い夏の日でした。私は待合室が耐えきれなくて病院の庭に出ました。そして大きな一本の木に安堵感を覚えて、祈る心でしばらくの間幹に手を当てていました。“母が必ず生きることができますように”と切実に願いました。また、こういう思いの人がこの場所にはたくさんいるのだなと思うとその人たちの家族も必ず助かるようにと願わずにはいられませんでした。切実だったので夏の熱気が暑いのか私の心が熱かったのかよく分からないくらいでした。

    手術は成功しましたが、その後は治療の苦しみや鬱病を患うなど二次的な苦痛がありました。鬱状態の母親に“死にたい”と言われたときには本当にどうしていいかわからなかったですが、手術の日の病院の庭で願ったように、必ず母には生きて欲しいし、母にも“生きたい”という心を持って欲しいと思いました。後になって振り返って、あの時頑張ってよかった、生きていることが幸せ、と、そう実感して欲しいと思いました。母が入院生活をしているとき、私が今までで一番母に良くしてあげることができたときでした。

    癌という病を通して、私は母とまた多くの人の命について考えることができました。当たり前にあるものが無くなりそうになってその大切さに気づくのではなく、いつでも一人一人の人を大事に尊く思う心を持ちたいです。人に対して、話す事、行うこと、些細なことも適当にせず愛情深く生きたいと思いました。その思いを込めて、切実に生を願ったその日を忘れないために絵を描きました

  • その先に

    砂原 涼志 さん

    19歳の専門学校生のとき学校の健康診断で影が見えるから精密検査をするようにと言われました。すぐに紹介された病院へ行くとCT検査を受け、腫瘍があると言われました。私は「腫瘍…それは癌なのか。」と疑問に思いましたが、細胞を採らないと結果はわからないとのことでした。

    入院し手術をすると退院間際に主治医の先生から、「血液の癌です。退院して抗がん剤の治療をしていきましょう」と告知されました。癌の疑いで入院しているにも関わらず、まだ二十歳にも満たない私は頭が真白になりました。よくわからなくてインターネットで病気を検索すると、その病気は悪性腫瘍でいわゆる癌だということがようやくわかりました。

    さらに検索していると抗がん剤、脱毛、5年生存率…などという言葉が出てきて、もう私に未来はないんだ、結婚はできないな、死ぬのかな、と思っていました。考える暇もなく治療が開始され「もし次に癌になっても治療はしたくない」と思わせるほど、抗がん剤は想像よりも辛いものでした。そんな辛い治療が半年続き、治療は終了しましたが周りには自分が癌だとは言えませんでした。その後は半年に1回受診し、ようやく癌発症から5年が経ち病気は完治となりました。

    病気が完治してから自分の中で何かが変わったのか。自分が癌だったことを周りに言えるようになりました。そんな中、職場の先輩と付き合うようになりました。彼女は仕事面でも尊敬できプライベートでも自分にはない発想を与えてくれます。病気のことも伝えましたが「そんなことは関係ない」と言われプロポーズも受け入れてくれました。昨年の秋に挙式も無事に挙げることができ「この人とずっと一緒にいたい」と思います。今後何があろうとも必死に生き、彼女を追いかけ一緒に歩いていきたいと思います。あの時頑張ったから今がある、この先の未来があるんだと思います。癌に学ばされ、これからは癌とともに生きていきます。

  • 優しいまなざし

    森井 邦生 さん

    会社の写真部に入部して30年、その間10歳年上の写真部の先生(講師)に一貫して教わってきました。

    年数回撮影会を行いその後勉強会と称しその時の作品を先生に講評して頂きます。

    数年前から肺気腫で治療中でした。昨年四月上旬のレントゲン画像で一昨年の画像と比べて微細ながら異変があると言われ、勧められるままに受けたPET検査で肺ガンの疑いが濃厚と診断されたのが昨年4月25日。考える間もなく同28日に切除手術を受けましたが、既にリンパ節にも転移していました。

    もともと肺気腫で息苦しさがあった上に肺の一部がなくなったので想像を絶する息苦しさに苦しみましたが、それでも在宅酸素だけはなんとか避けたいので、入院中は1階から10階の階段を使って自主トレをし、退院後は毎日カメラを持って出かけ、息苦しくてもリハビリと思って足が棒になるまで歩き回りました。

    そんなある日、奈良国立博物館の横でバッタリと至近距離で出あったのがこの鹿です。慈愛に満ちた気品のある優しいまなざしにしばし息を飲み、思わずシャッターを切りました。

    以来この写真を持ち歩いて朝な夕なに眺め、大いに癒されました。月に2回の抗がん剤の投与のたびに襲ってくる例えようもない副作用の中にあっても、この鹿がいつも優しく見つめていてくれました。この副作用から脱したらまた奈良公園に行きたい。この鹿に会いたいとばかり考えておりました。

    昨年末に受けたPET検査では再発も転移もしていないと言われましたが、2月の血液検査では腫瘍マーカーが若干上がっていると言われ、これから先のことは皆目わかりません。

    それでも僕と同じようにガンで不安な苦しい日々を送っておられる多くの方々にもこの写真を見ていただき、心安らいでいただければとても幸せだと思い、このコンテストに応募しました。

  • 母に見せたい景色

    須賀 研介 さん

    高校卒業と同時に北海道の大学に進学した私がホームシックになった時、
    母が「これでお母さんが見たことのない景色を撮って見せてね。」と買ってくれたのが、私とカメラとの出会いでした。

    そして、その年の暮れに母の乳癌が見つかりました。
    辛い治療に耐える母の様子を姉から聞かされ、遠くに住む僕は母に何もしてあげられない無力さを感じていました。

    そんな私に対し、母は「Kの撮っている景色を、私もこの目で見たいから、頑張って治して元気になって北海道に行く。」と言いました。私の写真を楽しみにしている母。

    私は、写真を撮ることで母の力になっていると思いたくて撮影に没頭していました。

    今思えば、そう言っていたのは、無力さを感じる私を思っての母なりのやさしさだったのかもしれません。

    「抗がん剤による脱毛も左胸の手術の痕も、今になってみれば全て武勇伝よ。」と笑えるぐらいに元気に回復してくれました。

    そして、北海道の雄大な景色を見るために旅行もできるようになりました。

    今でも私の写真が生きる力になると話す母。

    「母に健康をありがとう。」と

    私は今もこの1枚が誰かの力になればいいと願いながらシャッターを切っている。

  • ウインクしているわたしのおっぱい

    塩田 陽子 さん

    私の左のおっぱいは私を離れ、先に神様のもとへ行きました。三人の子供たちに、よく尽くしてくれた私のおっぱい。手術から四年たちましたが、今でも怖くて、ちゃんと胸を見ることはできません。好きだった温泉にも、まだ入る勇気が持てません。でも私のおっぱいは切除されたのではなく、ウインクしているんだ!と思うと、なんだか愛嬌があって愛しく思えてくるのです。

    病気のために体の一部や機能を失う人は、少なくありません。命と天秤にかけられたら、悲しいけれど誰もが同じ選択をするでしょう。しかし、命と引きかえに『捨てた』とは思わないでほしいのです。たとえ切り離されても、それが私自身であることに変わりはありません。これまで一生懸命に働いて、役に立ってくれた私の大切な一部。だから私は『先に神様に納めた』と考えたいのです。いつかまた私と合体するその日まで、ゆっくり休んでほしい。それが私の感謝の気持ちです。

    神様のもとで私を待っていてくれるおっぱいに、たくさんのみやげ話を持っていってあげたい。いろんな体験やチャレンジを、聞かせてあげたい。そして「あなたがいなくても、私は生き抜いたよ」と報告したい。私のおっぱいはきっと「ここからちゃんと見てたよ」と言うでしょう。私がおっぱいと再会するそのときは、必ず笑顔でありたいと思っています。

  • 歩く

    津田 恭子 さん

    「もう新しい靴はいらんから」

    2012年3月の午後、母は、最寄りのデパートの広告を眺めながら言った。あきらめとは違う、深い悟りのようなものを漂わせていた母の言葉に、私は一抹の寂しさを感じた。今まで元気で働き者だった母が、数ヵ月続く腹部の違和感に不安を覚え病院に行くと、担当医から、ステージⅢに近い大腸がんと診断され、即刻、腹腔鏡手術を勧められた。予防接種でさえ嫌がる母にとって、そのショックや恐怖感は相当なものだったろう。

    お洒落大好きな母の目を引いた、店頭のパステルカラーのパンプスも、母の購買欲をそそらなかった。一瞥しただけで、「もう靴を履いて歩くことはないし」とつぶやいた。

    手術の朝、母を手術室に見送り病室で家族と過ごした14時間は、果てしなく長かった。全身麻酔でぐったりした術後の母が運ばれてきたのは、すでに病室の消灯直前だった。身体にもつれるほどたくさんの点滴のチューブが、棘のように身体中に刺さっていた。その状態で、母は両の掌を天井に向かって上げてグゥパァをしていた。この、母の、大丈夫だよという精一杯のサインを目にした私たち家族は、一瞬にして安堵に変わっていった。ゆっくり麻酔から覚めた母は私たちを認識して、口元にうっすら笑みを浮かべていた。

    「お母ちゃん、痛いことはないの?」切羽詰まった声で尋ねる私に、母は小さく頷いた。翌日からは、持ち前のパワーで先生も驚くほどの快復力を見せていった。大きく成長したがんだったが、念のためと切除したすべてのリンパ節に転移は見られなかったことから、ステージⅡと正式に診断された。

    術後五年目に入る母は、病気という檻から解き放たれて、自分の身体と真摯に向かい合っている。何かに糧を持ち、小さくても希望を持って、明るく生きているのだ。

    「新しい靴を買いに行こうかな」と私に向かって笑いかける母に、笑顔で大きく頷いた。

[第5回]コンテスト授賞式動画
授賞式オープニング
絵画部門
写真部門
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